2022/10/04 13:39


以前、17~20歳まで芸人をやっていたという話をしたことがありますが

師匠方のお話ばかりでしたので、たまには同世代の芸人とのお話をしようと思います。


私は2009年に初舞台、2010年にメジャーデビューということで一応「NSC33期」と同期という扱いになります。
同期で言うと、コロチキ、霜降り明星、男性ブランコ、Kento Fukaya、ヒガシ逢ウサカなどがいました。

さらに同じ事務所で同日デビューだったのが、Aマッソ、風穴開けるズの安藤くん、ヒコロヒー、かんばん娘ようへい。などなど、
やめた仲間も入れるともっといるのですが、いまだに現役なのは上記の5人だけです。

業界の荒波を共に乗り越えてきた、大切な仲間たちです。
ちなみに当時、私は17歳で最年少だったということもあり、タメ口は使っていたものの
「さん」「くん」など敬称をつけて呼んでいました。

たくさん思い出があります。

風穴の安藤くんとは、よく飲みに連れて行ってもらい、いろんな話をしました。
今でこそ大声でツッコム印象ですが、当時は別の相方とスマートで繊細な漫才をやっていて
安藤くん自身も「家以外のトイレでウ○コができへん」というぐらい繊細でした。

また、安藤くんは「学天即の奥田さんに憧れてこの世界に入った」と語ってくれたことがありました。
奥田さんといえばクールでロジカルな芸風。当時の安藤くんの芸を考えると納得でしたが、
ずいぶん方向転換しましたよね。
色々と苦労したのでしょう。

現在VTuberとして活動する「かんばん娘ようへい。」さんとは、
実は一時期コンビを組んでいました。
当時からかなりクセが強い人だったので、ネタ作りに苦労はしましたが
ようへいさんがお笑いに対して真面目な人で、楽しい時間でした。

二人ともネタを書くタイプの芸人だったので、切磋琢磨できていたと思います。
よくある話で、ああいうぶっ飛んだ芸風の芸人さんほど、実は裏では真面目なんです。
営業妨害でしょうか笑。

ちなみにAマッソ村上さんとヒコロヒーさんに関しては、なぜか一言も喋ったことがありません笑。
二人とも今では売れっ子で、テレビに引っ張りだこですが、
当時17歳の私からすると、3歳上と4歳上のお姉さん二人が怖くて
なかなか近寄れなかったんです笑。

そして、タイトルにも名前を上げた加納さんですが、
そこまで仲良くはなかったのですが、ずいぶん可愛がってもらいました。
同期なのに「可愛がってもらった」は変ですけど、まあ4歳上の姉ちゃんですから笑。

下積み時代、先輩方のライブや寄席の手伝いに駆り出されていたのですが、
他の同期たちが真面目に働いている中、私は客席の後ろの方に隠れて、
先輩方のネタを見ていたんです。
そこに、先に加納さんもいましたね笑。
いわばサボり仲間でした。

加納さんは当時すごく尖っていて、芸人仲間にも笑顔すら見せない人だったのですが、
私のことはまるで、子供に語りかけるような喋り方で話してくれました。
好きな芸人さんや、どんな生い立ちだったのかとか、いろんな話をしました。
仕事をサボりながら。

それから2年立った頃には、Aマッソは事務所にプッシュされていて
底辺でくすぶっていた私とは、会う機会もかなり減りました。
事務所内でのネタ見せ会で、お互いネタを見る機会はあったのですが、
ライブで共演する機会はほぼゼロでした。

そして私は3年目の時に、芸人を辞める決心をするのですが、
たまたま事務所で加納さんとすれ違った時に
「今日の夜、時間ある?」と言われて、
食事に誘われました。
たしかJR難波の構内にあるファミレスだったと思います。

話したことはあったけど、二人で食事に行くのは初めてだったので
内心ビクビクしてましたね。
そもそも、女性と二人っきりというシチュエーションに慣れてなかったものですから。

加納さんは
「せっかく才能あるのに、芸人辞めるなんか言わんといてよ。」
と言いました。
そうです。引き留めてくれたのです。

加納さん自身、深く関わってきた同期がヒコロヒーだけだったようで、
こういう話をするのが初めてだったようで、かなり言葉を選んでいるように見えました。
というか、私よりも加納さんの方が緊張してました。

ただ自分は、ネタを作るのは好きだったのですが、
私自身、もともとユーモアのある人間ではないもので。
どうも面白いことを考えるのが不得手だと気付いてしまい、
もう芸人を続けていくモチベーションがなくなっていました。


それでも、面白いネタが書けて、事務所にも推されている
正真正銘の天才・加納さんに認めてもらえたのは嬉しかったです。
事務所お抱えの作家さんや、たまに来る大物評論家さんに褒められるよりも、
加納さんにネタを褒められたのが、人生で一番嬉しかったです。

私の意思が硬いことを知ると加納さんは、
「せっかく構成力とか語彙力とかあるんやから、
お笑いじゃなくてもいいやん。
たとえば、演劇の脚本とか書いてみれば?」
と言ってくれました。

そうか、その手があったか!

それで結局、私は20歳の時に一から演劇を学び、
足を使って仲間を集め、自分が主宰の劇団を作ることになりました。
加納さんに示してもらった道で、その後8年生きていくことになります。

大成はできなかったものの、演劇で作品賞もいただけたり
多くの方々と出会えたりと、
それなりに充実した日々でした。

もしあのとき、加納さんの言葉がなければ、
今とは全く違った人生だったと思います。
まあ、いずれ古着屋にたどり着いていたかとは思いますが笑。

そんな加納さんも、いまやお笑い界を代表する芸人の一人です。
先日の「歌と笑いの祭典」。
松本人志さんとナインティナインさんの二代巨頭がMCを務める特番で、
爆笑問題さんやアンタッチャブルさんら、錚々たるメンツがネタを披露する中、
お笑い側の大トリがAマッソでした。

滅多にテレビは観ないのですが、観て泣きました。
純粋な嬉し泣きです。
血は繋がっていないけど「お姉ちゃん」が
すごい場所で漫才やっていたんです。

ネタは面白くて、あの頃と同じ
変わった構成と切り口のネタだったのですが、
泣けちゃいました笑。

そんな天才で凄い芸人の加納さんに、
才能があると褒められた脚本家が
この私です!

まあ、私が凄いわけじゃなくて、
加納さんが凄すぎるってだけなのですが。

以上、ちょっとした自慢と思い出話でした。