2022/08/26 15:27
こんにちは。
ヴィンテージスウェットの季節が近づいてきました。
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さて、前回のお話の続きです。
↓前回の記事がこちら
無事(?)、大手古着屋Jを退職した私でしたが、辛酸を舐めたのはここからでした。
仕事探しをする中で「一旦、古着から離れよう」と思い、様々な業種の会社に面接にいきました。
3ヶ月ほど、週に2回は面接に行っていたような気がします。
しかし世はコロナ禍、どこも不景気でなかなか雇ってはもらえません。
さらに11年間の俳優活動が「社会経験なし」という捉え方をされてしまい、ウィークポイントになりました。
3ヶ月の間、無職の状態が続き、流石に精神的にも辛くなってきた頃「もうアルバイトでも良いや」と思うようになり、アルバイトも含めて職を探すようになりました。
そんな時になんと、古着屋アルバイトの募集を見つけました。
「また古着屋に戻るのか」と思いつつ、面接を受けに行き、その場で合格をいただいたのです。
当時28歳。かつて大手古着屋で、それなりに辣腕を振るってきた私が、最低賃金で小さな古着屋のアルバイト。
もうプライドは捨てていました。生きるためには何でもやってやろう。そんな覚悟はとっくに出来ていました。
その上で、心をポッキリと折られてしまったのです...
その古着屋は夫婦で経営しており、私の管理をしていたのは奥さんの方でした。
この奥さんというのが問題で、「長年アパレルをやっていた」と自称していたのですが、ヴィンテージや古着の知識が乏しく、私が使うヴィンテージの専門用語が通じず「調子に乗っている」と捉えられ、目をつけられてしまったのです。
「古着屋で働きながら、古着の言葉を使えない」というなんとも捻れた状態になってしまい、私はだんだん無口になっていました。
さらに「長年アパレルをやっていた」とう発言も、旦那さんに聞いたところ「スーパーで勤めており、衣料品もレジで打ったことがある」という程度のものでした。
そりゃあ服の知識が全くないわけですが、私の服装にも頻繁に口を出してきていたので、ずっと虚言されていたという事になります。
さらにこの奥さん、人格的にも決して褒められるような方ではなく、働き始めて間もない頃
「もし友人の中に、苗字にこの漢字が入ってる人がいれば、全員縁切っといてね。」と言われ、いくつか漢字を示されました。
全く意味がわからなかったので、冗談っぽくあしらうと
「うちで働くんだよね?ちゃんとスタッフとしての意識持ってもらわないと困るよ。」と言われました。
当然、従うことはなかったのですが、どうやら風水や占い的な物に傾倒しているようで、それに纏わる事だったそうなのです。
それ以外にも、こちらの行動や言動もかなり制限されました。
家に帰ってから食べる夕食のメニューや休みの日の過ごし方まで、かなり口を出されました。
私はもともと小食で、痩せ型の体型なのですが「〇〇キロまで体重を増やして欲しい」と言われたこともありました。
体型というよりも「体重を縁起の良い数字で揃えて欲しい」という理由でです。
本格的にマズいと感じたのは、私の体にイボができて、それを手術で摘出した時でした。
イボ自体は体質的なもので問題のない物だったのですが、復帰後の対応に違和感を覚えました。
「術後で体力が落ちている事、傷が開く可能性があるので力仕事は出来ない事」は事前に伝えてありました。
しかし、復帰してすぐに命じられたのは「店内の模様替えとハンギング」でした。
模様替えはもちろん重い物を運ぶ必要があるし、そもそもこのタイミングでする必要のないことでした。
ガラスケースやレジカウンターを、フラフラになりながら運びました。
さらにハンギング。これは確かに慣れた作業ではあったのですが、全身運動に変わりはありません。
他にも検品など、座ってできるような仕事はいくらでもあったはずなのですが、命じられたのは上記の2つでした。
この日は仕事中に気分が悪くなってしまい、途中でトイレに何度か駆け込んだことを覚えています。
その日を境に、風水や占いとは全く関係のない「シンプルなイジメ」のような状態は酷くなっていきました。
おそらく、私が弱ってくるのを待っていたのですかね。
ポケモンじゃねえんだから笑。
そしてとうとう、私の心身がその店を拒絶するようになっていきました。
朝の出勤中、店が近づくにつれて吐き気が増していき、歩いている時に道にへたり込んで吐いてしまった日もありました。
ただ、遅刻や欠勤をするとまたイジメが酷くなると思い、何がなんでも皆勤を貫きました。
アルバイトなのですぐに転職という道もあったのですが、この店にたどり着くまで3ヶ月も無職だった経験と、最低賃金しか貰っていなかったので貯金を既に切り崩しきっていた事、さらに労働時間(9時間労働)の関係と、例の「行動制限」のせいで自由時間がほぼ無かったことで、なかなか転職活動に踏み切ることが出来ませんでした。
しかし私も、体があまりにもおかしいと感じ、人生で始めて心療内科に行く事にしました。当時は大阪市内に住んでいたので、家を出ればそこかしこに心療内科はありました笑。
とりあえず、一番近くの所に行きカウンセリングをしてもらったところ「パニック障害と軽度のうつ」との事でした。
1ヶ月ほど毎週通い、薬をもらっていたのですが、心療内科の薬って高いんですよね。
最低賃金かつ、当時は「働きが悪くなった」という理由で給料を引かれていたので、ついに心療内科に通うのもやめてしまいました。
かつて某Jでバリバリやっていた私が、月収8万円ほどの価値の人間に落ちてしまっていたのです。
しかし「流石にもうここでは働けない」という思いは募っていました。
決定打になったのは友人の死でした。
少し年上ですが、まだまだ30代の地元の先輩が突然亡くなったのです。前日まで普通に元気だったのに。
すでに心がボロボロだった私は、この上なく落ち込みました。
「葬儀に参加したいので忌引きさせてください。」と伝えると、「親族じゃないと忌引き使えないよ」と言われ、休みは取れませんでした。
まあ、正論です。常識外れは承知の発言だったのですが、あっさりと却下されました。
正直、殴ってやろうと思いました。
そもそも相手は小柄な女性。力づくで負ける相手ではないのに、私をこんな目に合わせやがって。
2年間の怒りが、一気に吹き出しそうになりました。
葬儀の日も普通に出勤しました。
朝、カバンに包丁を入れていくか、割と本気で悩んでいました笑。
もはや、あの女に対する感情は、来るところまで来ていたのです。
そんな気持ちをグッと堪え、包丁は持たずに出勤しました。
あまり得意ではないエナジードリンクを飲み、仕事中に涙が落ちないように歯を食いしばり、必死に働きました。
幸い「自死」という選択はありませんでした。俳優時代に「自殺防止」の啓発運動をしていた時期があり、様々な経験をした方からお話を聞き、その行為の愚かさは身に染みて分かっていたので、その結末は選べませんでした。
そして、最後に頼ったのが実家の両親でした。
散々好き勝手な生き方をして、30歳にもなって生計を立てられなくって親に泣きつく、情けないとは思いました。
それでも、最後の手段としてその選択をしたのです。
とはいっても、店側も簡単には辞めさせてくれませんでした。
なぜ引き止めるのか、全く意味がわかりません笑。
「時給を10円上げるから」「業務内容を見直すから」。
今更だし、問題はそこじゃないんです。
きっぱりと突っぱねて期日まで働き、無事に退職しました。
最後の日の退勤時、あの女が「またいつでも遊びにきてね」と言ったのを
私は聞こえなかったフリをして、無言で店を出ました。
その後、大阪を離れて実家に戻りました。
そして「もう私に勤めは無理だ。よし、自分で会社を作ろう!」
という安直な発想にたどり着きました笑。
しかるべき資格を取得してから、
今年「古着屋エゴトピア」を開業しました。
正直、パニック障害はまだ治っていません。
それでも、生きる為(あと大好きな古着にたくさん触れる為笑)に、必死に動き回っています。
...という経緯でこのショップを立ち上げました。
再び駄文長文を失礼いたしました。
なお、某Jの退職後に勤めた酷い古着屋に関しては、営業妨害を避ける為にここでは名を伏せさせていただきましたが、聞きたい方がいれば「質問」で遠慮なくお聞きください。
お客様にも決して優しいお店ではありませんでした。古着好きな同士の皆様に嫌な思いをして欲しくないので、私も誠意を持ってお答えいたします。
という訳ですので、これからも
「古着屋エゴトピア」及び、素晴らしき古着文化をよろしくお願いいたします!
